中世のガラス

ローマ時代に革新的とも呼べる進化を遂げたガラス史だが、ローマ帝国の衰退とともにガラス製造の勢いも衰えを見せ始める。

ガラス職人たちは周辺諸国に移り住み、ガラス製造を行うものの、これまでのような勢いはなく、生産数も大きく落ち込むこととなった。 この背景には、禁欲的なキリスト教がローマ時代以降に宗教的な支配文化となったためであると思われる。キリスト教は贅沢なものや派手なものを敬遠する趣向があった。

しかし、12世紀になると東ローマ帝国にてステンドグラスが発明され、広く普及する事となる。そしてステンドグラスはその装飾の技術や美術の美しさから教会の建造物として取り入れられることとなった。

一方でヴェネツィアでは良質なガラスの原料を輸入と、優れたガラス製造の技術によりヴェネツィアン・グラスが誕生する。 ヴェネツィア共和国は、ヴェネツィアン・グラスの技術の漏えい防止策、ガラス工房の火事の被害を防ぐため、ガラス職人やその家族をすべてムラーノ島へ移住させた。島外への逃亡を試みる者には厳重な罰を与えるという隔離された環境で、ガラスの技術は切磋琢磨が進み、シャンデリアや鏡、テーブルなど様々なガラス製品が製作された。

これによりヴェネツィア共和国は他国との貿易において大きな利益を得る事に至った。また現在でもヴェネツィアン・グラスは観光地の土産物として店頭に並んでいる。